浅草を気ままに歩く(後編)

 

浅草寺の本堂の左側の掲示板をふと見ると、黒い板に白抜きで書かれた表示板があり、主要な行事が列挙されている。朝座は四月一日から九月三十日までが朝六時からで、十月一日から三月三十一日までは朝六時半から。昼座は通年で午前十時から、夕座は通年で午後二時から行なわれている。毎月一日の午前十時からは大般若経転読会がある。

お正月の浅草寺のにぎわい

お正月の浅草寺のにぎわい

かつて五重塔はなかった

今日は二月一日である。ということは、大般若経転読会が午前十時からある。時計を見ると午前九時三十分。なんという好都合。しばらく境内をグルリと回って午前十時を待つことにした。
目の前には、五重塔が建っている。
京都や奈良の古い寺でかなり五重塔を見てきた経験から言って、浅草寺の五重塔は新しすぎる。新米同然だ。それもそのはず。昭和四十年代、私がよく浅草寺の境内をブラブラしていたときは五重塔はなかった。案内板を見ると昭和四十八年に再建されたと記されている。
そういえば、私が大学に入るころに工事をしていた。あれから四十年以上か。今では境内に五重塔がそびえているのが当たり前の光景となったが、私にとっては、今あるものが姿も形もない時代の記憶も残っている。それがまた、五重塔を見るときに、何かくすぐったいような違和感をもたらすのだが……。
昭和二十年に空襲で焼失した本堂が再建されたのが昭和三十三年。以後、雷門が昭和三十五年、宝蔵門が昭和三十九年、五重塔が昭和四十八年。日本経済の高度成長の中で浅草寺の主要施設が次々と再建されている。昭和三十三年以前の浅草寺には、一体何があったのだろうか。
寒々とした風景が広がっていたのではないだろうか。(ページ2に続く)

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