浅草を気ままに歩く(後編)

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浅草寺の僧侶たちがゆく

大般若経転読会が始まる

教典を箱の中から順番に取り出して、全員が一巻ずつアコーディオンのようにパラパラめくっていく。一巻ごとに全頁が紙でつながっていて、それを花が開くように顔の上で開いていく光景は壮観だった。
それが終わると全員でお経を読む。ドンドンと打ち鳴らされる太鼓の中でお経は重奏的に共鳴する。聞いていると魂を揺さぶられるかのようだった。太鼓を叩く人は口を“へ”の字に結んでつまらなそうな顔をしていたが、すごくいい音を出していた。
いつまでも聞き惚れていたかったが、次第に集中力が散漫になってきた。正座がつらくなってあぐらをかきたくて仕方がなかったのだ。しかし、それが憚れる雰囲気があったので、最後まで正座を通した。
ちょうど20分ですべてが終わった。すぐにほとんどの参列者は帰ったが、残った人たちは祭壇の後ろに用意された場所で小さな賽銭箱にお金を入れて焼香した。私もその一人だった。
見果てぬ夢にすべてを託すような気持ちになった。
帰り際、太鼓を叩いていた人が後片付けをしていた。
私は近寄って聞いてみた。
「先ほど、僧の方々がアコーディオンのようにお経の本を開いていましたけど、あれはいったい何をやっていたんですか」
「今日は転読会ですから、あのようにお経を順に開いていたんです」
「一巻ずつ開いていって、一応読んだことにするということですか」
「そう考えればわかりやすいと思います」
確かに、五十巻もある経典を正確に読んでいたら何時間かかるかわからない。一巻ずつアコーディオンのように開いて閉じるということを繰り返して読んだことにすれば、わずかな時間で終わるのである。
「なるほどなあ」
大般若経も転読すれば二十分か、と妙に感心した。

文=康 熙奉(カン ヒボン)
出典=『東京下町 こんな歩き方も面白い』(康熙奉・緒原宏平著/収穫社発行)

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