愛と別れの恋愛博物館〔第1回〕

恋愛は常に「常識」の外にある

ジョージ5世の嘆きの元となったウォリスは、アメリカのメリーランド州の出身である。32歳のときにアメリカ海軍将校と結婚したが、わずか1年で離婚。それから1年も経たないうちに、アーネスト・シンプソン大佐と再婚した。その後、夫が海運会社のロンドン支配人に転出したので、ウォリスも一緒にロンドンにやってきたのである。

人目をひくほどの美人ではなかったが、著名デザイナーのトップ・ファッションを着こなしたウォリスは、一躍ロンドン社交界の花形となった。それにともない、夫との関係もうまくいかなくなっていった。

そして、夫との不仲が続く中で、彼女は皇太子に異常に執着するようになった。

「なんて細くて繊細な王子さまなんでしょう」

皇太子と近付きになるために、ウォリスはあらゆる人脈を利用した。パーティーでは皇太子の気をひくために、性格俳優も顔負けのさまざまな芝居を打った。

それでも、身分が違いすぎて、恋愛関係に発展するなど常識的には考えられないことだった。しかし、恋愛は常に「常識」の外にある。

1933年に入ると、皇太子がシンプソン邸に入りびたっている、という噂が社交界に一気に広がった。

それから2年、ジョージ5世の病状が悪化し、明日をも知れぬ命となった。国王は皇太子を病床に呼び寄せ、ウォリスと別れるように強く迫った。しかし、皇太子は「彼女なしの人生など考えられない」と拒絶した。

ジョージ5世はあきらめた様子で、ボールドウィン首相に言った。

「賭けてもいい。私が死んだら、エドワードは1年ももたないだろう」(ページ4に続く)

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