裸足の優勝者
ザトペックがインターバル練習の革新性を証明したあと、続いて高地トレーニングの効果を世に知らしめたのがアベベ・ビキラだった。
精悍な風貌と均整のとれた体型。さらに、淡々と走り抜く精神力。彼こそ、マラソンという孤独な競技に最もふさわしい「鉄人」であった。
初めは誰もが無名だとしても、彼ほど無名だった者はいなかった。
1960年ローマ五輪。暗闇の中で美しく照らされたコンスタンチン凱旋門が、マラソンのゴールになっていた。
この栄光のゴールを最初に駆け抜けるのは誰か。様々な優勝候補の名が取り沙汰される中で、緑のランニングシャツを着た褐色のランナーが真っ先に飛び込んできた。各国記者の誰もが知らない選手だった。優勝者の人物評を書くため、記者は右往左往しながら奔走した。
さらに、世界中を驚かせたのは、その選手が裸足だったことだ。シューズも履かないで世界最高記録(2時間15分16秒)を達成することが果たして可能なのか。しかし、アベベは平然とそれをやり遂げた。
かつて1936年から4年間、エチオピアはイタリアに征服されていた。そのイタリアの征服軍がエチオピアに向かった道がアッピア街道だった。24年後、そのアッピア街道はマラソンのコースとなり、アベベはこの街道をさかのぼってローマに凱旋してきた。
「私は皇帝のために走った。エチオピア初のメダルは皇帝に献上したい」
アベベは裸足の両足で24年前の屈辱を見事に晴らしたのである。(ページ4に続く)