人はなぜマラソンを走るのか(中編)

衝撃的な出来事

くしくも……と言うべきか。1964年東京五輪のマラソンで金と銅のメダルを得た2人は相次いで若くして亡くなっている。金メダルは前述したアベベだし、銅メダルは日本の円谷幸吉である。

1968年はメキシコ五輪の年だった。この年の1月、東京・練馬の自衛隊体育学校の自室で、円谷は右首の動脈をカミソリで切って自殺した。日本中を悲しみに包んだ衝撃的な出来事だった。

「父上様母上様 三日とろろ美味しゅうございました」で始まる遺書には、韻律をふんだ美文の中に底知れぬ哀しみが込められていて、日本中の涙を誘ったものだった。また、「幸吉はもうすっかり疲れ切ってしまって走れません。何卒お許し下さい」と遺書が結ばれていく個所には、故障で走れない円谷の苦悩の深さがうかがえた。

東京五輪での円谷は、地元開催の最大のヒーローともいえた。結果は3位だが、マラソンで得たメダルの価値は限りなく重かった。アベベに続いて2番目に国立競技場のトラックに戻ってきながら、残りわずかで後続のヒートリーに抜かれて3位に落ちてしまったが、国立競技場に唯一の日の丸を掲げた走りは十分に称賛されていい。

その彼が4年後に自ら命を絶つ結末を迎えようとは……。

メキシコ五輪での活躍を大いに期待されていたが、実際にはアキレス腱の故障や椎間板ヘルニアに苦しみ、納得のいく走りができないでいた。マラソン選手にとって椎間板ヘルニアは致命傷であり、再起に成功した例はほとんどない。彼の選手生活は事実上、終わっていたのである。(ページ6に続く)

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