マラソンの歴史に名をとどめた人たちのエピソードを通して、人間がマラソンとどう関わってきたかを辿ってみたい。それは、走ることで自分自身と必死に闘ってきた者たちの歴史でもある。人はなぜ走るのか。その永遠のテーマに果たして答えはあるのだろうか。
走りきったときの感動!
走ることは最も個人的な営みである。
誰かから逃げるにしても、何かを追いかけるにしても、人は走っているときが最も自分らしくなれる。なぜなら、その瞬間は地球上でたった1カ所、流れていく自分だけの空間に身をおくことができるからだ。
頂上が高ければ高いほど、登り切ったときの感激は大きい。同じことが走る距離にもいえる。42・195キロメートルで真に納得する走りができれば、全身にこみあげてくる快感は他と比べものにならない。
1996年アトランタ五輪の女子マラソンで銅メダルを獲得した有森裕子は、直後のインタビューでとっさに「自分で自分をほめてあげたい」と語った。その言葉は流行語にもなったが、前人未踏の道をゆくがごとき自己陶酔の極致から、自然にこぼれた珠玉の名言でもあった。
たとえ、長命を全うできる人でも、自分に感動するということは人生に何回もあることではない。しかし、あのときの彼女は素直に自分に感動していた。想像を絶する苦しい練習に堪え、レースで満足のいく結果を出したことが、「自分で自分をほめてあげたい」という言葉になった。(ページ2に続く)