人はなぜマラソンを走るのか(前編)

マラトンの故事

ローカルな大会であろうとも、長時間をかけてようやくゴールインした市民ランナーはこぞって素直に喜びを爆発させる。あの瞬間を見るにつけ、マラソンの完走ほど素直に自分に感動できるものもそう滅多にないと実感する。

しかし、19世紀まで、人間が競技で40キロメートル以上の距離を疾走するのは、暴挙とさえ思われた。そもそも長距離競走という概念すらなかった。

世にマラソン競技が誕生した背景には、ぜひオリンピックを成功させたいというクーベルタン男爵の野望があったのだ。

クーベルタンは、ブレーンの一人からのアドバイスによって、故事にならった競技の創設を考え、それを近代オリンピックの目玉にしようと考えた。

その故事は、よく知られている話だ。

紀元前490年、ペルシャの大軍がアテネを攻めた。アテネは市の北東約40キロメートルのマラトンの野にペルシャを迎え撃ち、見事に大勝した。その勝利の知らせを一刻も早く市内の人々に知らせようと、フェディオピデスが伝令となって軍装のまま走り続けた。ようやく市内に辿りついた彼は、味方の勝利を声高く叫んだのち、自らの役目を終えたかのように絶命した。

この逸話はあまりに有名だが、ことの真偽はわからない。後の創作だろうという説も有力だ。しかし、クーベルタンにとって、話が本当か嘘かなどはどうでもよかった。誰もが知っている故事であるかどうかが大事だった。実際に「起こらなかったこと」もいかようにも「歴史」になるのが世の常なのだ。(ページ3に続く)

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