鄭蘭貞(チョンナンジョン)!「朝鮮王朝三大悪女」の悪行

鄭蘭貞について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社発行)

悪の手先となった鄭蘭貞

自分の息子を王にしたい文定王后にとって、世子の存在は邪魔だった。そこに目を付けた鄭蘭貞は、彼女の代わりに汚れ役になろうと決めた。
強い覚悟を持った鄭蘭貞。自分の野望を叶えようとしていた文定王后から大変重宝されていた。
1544年に中宗が56歳で世を去ったことで、世子である章敬王后の息子が12代王・仁宗(インジョン)として即位した。




しかし、仁宗は即位からわずか8カ月で世を去ってしまう。これは、文定王后が仁宗を毒殺した可能性が高い。その際には、裏で鄭蘭貞が動いたに違いない。
仁宗が亡くなったことで、後を継いだのが文定王后の息子だった。彼は、13代王・明宗(ミョンジョン)となった。
当時の明宗はまだ11歳と幼かったため、王族の最長老女性である文定王后が代理で政治を行ない、自分の一族の者たちに高い官職を与えた。(ページ3に続く)

中宗(チュンジョン)!優柔不断な国王

トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?

粛宗(スクチョン)の母が張禧嬪(チャン・ヒビン)を王宮から追い出した!

朝鮮王朝で一番美しい王女と呼ばれた敬恵(キョンヘ)王女

固定ページ:
1

2

3

注目記事のエッセンス1

記事「トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?」

ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

ページ上部へ戻る