李芳遠(イ・バンウォン)は太宗(テジョン)となっても継母を恨んだ

 

朝鮮王朝を建国した李成桂(イ・ソンゲ)には2人の妻がいた。朝鮮王朝は一夫一婦制だが、李成桂が生まれ育った高麗王朝時代は一夫多妻制だったので、2人の妻を持つことが許されたのだ。李成桂が初代王になって故郷にいた第一夫人は神懿(シヌィ)王后となり、都にいた第二夫人は神徳(シンドク)王后となった。

誰を世子にするのか

李成桂(イ・ソンゲ)の息子は8人だった。
神懿王后から6人、神徳王后から2人の息子が生まれていた。
この中で、李成桂は誰を世子(セジャ/王の正式な後継者)にするのか。




年長だった神懿王后の息子たちから選ぶのが常識だった。特に、神懿王后の五番目の息子の李芳遠(イ・バンウォン)は、父の政敵を排除して王朝の創設に一番貢献していた。実力も十分にあって、世子にふさわしかった。
しかし、仰天すべきことが起こった。神徳王后の二番目の息子だった李芳碩(イ・バンソク)が選ばれたのだ。
そのとき、わずか10歳だった。25歳の李芳遠と比べると、まさに「鼻たれ小僧」であった。
なぜ、こんなことが起こったのか。李成桂は、寵愛する神徳王后に懇願されて断れなかったのだ。(ページ2に続く)

李成桂(イ・ソンゲ)はこうして初代王の太祖(テジョ)になった

朝鮮王朝最高の名君だった世宗(セジョン)

トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?

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ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

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