李芳遠(イ・バンウォン)は太宗(テジョン)となっても継母を恨んだ

復讐の相手

李芳遠は激怒した。
「絶対に受け入れられない」
李芳遠は、1396年に神徳王后が亡くなったあと、急に乱を起こして李芳碩を殺してしまった。
病床にあった李成桂は、ただ傍観するしかなかった。




先に兄を即位させたあとで、1400年に李芳遠は満を持して3代王の太宗(テジョン)となった。
彼は実力派の大王として、朝鮮王朝の基盤を万全にした。
それでも、李芳遠は満足しなかった。
彼には絶対に復讐しなければいけない人物がいた。それが、すでに亡くなっていた継母の神徳王后だった。
李成桂が生きている間は動かなかったが、1408年に父が世を去ると、すぐに神徳王后の墓を標的にした。(ページ3に続く)

李成桂(イ・ソンゲ)はこうして初代王の太祖(テジョ)になった

朝鮮王朝最高の名君だった世宗(セジョン)

トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?

張禧嬪(チャン・ヒビン)!側室に転落した王妃

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注目記事のエッセンス1

記事「トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?」

ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

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