李芳遠(イ・バンウォン)は太宗(テジョン)となっても継母を恨んだ

250年の歳月

神徳王后の墓は、王妃として最高の格式で都の中心部に造られていた。
そのことに腹をたてていた李芳遠は、1409年以降に神徳王后の墓を次々に移して格下げにした。
「あまりにやりすぎでは……」
側近たちは諌(いさ)めた。
しかし、李芳遠は耳を貸さなかった。




ついには、神徳王后の王妃としての祭祀まで廃止させた。
それでも、腹の虫がおさまらなかった。
執念深かった李芳遠は、最後には神徳王后の墓を徹底的に破壊した。そこまで憎んでいたのだ。
以後、神徳王后の墓はみすぼらしく放置された。
彼女が名誉を回復して王妃として再び祀られるようになったのは、ようやく250年ほど経った後だった。
文=康 熙奉(カン ヒボン)
記事提供:「歴史カン・ヒボン」http://kanhibon.com/

李成桂(イ・ソンゲ)はこうして初代王の太祖(テジョ)になった

朝鮮王朝最高の名君だった世宗(セジョン)

トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?

張禧嬪(チャン・ヒビン)!側室に転落した王妃

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注目記事のエッセンス1

記事「トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?」

ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

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