英祖(ヨンジョ)は景宗(キョンジョン)のおかげで国王になれた!

 

1720年に19代王の粛宗(スクチョン)が世を去った後に王位を継いだのは、張禧嬪(チャン・ヒビン)の息子の景宗(キョンジョン)だった。そして、淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏(『トンイ』の主人公)の息子の英祖は、世弟(セジェ/国王の正式な後継者となる弟)になった。




危機を迎えた英祖

1720年に景宗が国王となった当時、政治勢力は2つの派閥が対立していた。景宗を支持していたのが少論派で、英祖を支えていたのが老論派だった。
景宗の即位によって政権を握った少論派は、老論派の壊滅をもくろみ、1722年3月27日に睦虎龍(モク・ホリョン)という者を使って老論派の謀反を訴え出させた。
睦虎龍は地方の官吏だったが、出世を狙って少論派の手先となっていた。この睦虎龍はこう告発した。
「殿下を殺害しようとする逆賊がいます。その方法は刀、毒薬、謀議などで、建国以来こんな逆賊はいなかったと言えるほどの奴らです。早くつかまえて王朝の安泰をはかってください」
このように述べたあと、睦虎龍は具体的に数多くの逆賊たちの名前をあげた。それは、老論派の人間ばかりだった。
少論派は睦虎龍の告発を利用して大謀反事件を仕立て、老論派の関係者を次々に厳罰にした。
結局、60人以上が死罪となり、老論派は政権から駆逐された。




この政変によって縮み上がったのが英祖だった。
彼の後ろ楯となっていた老論派が没落してしまったために、英祖は命の危険すら感じるようになった。
(ページ2に続く)

英祖(ヨンジョ)!在位が一番長かった国王

英祖(ヨンジョ)はイ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)に自決を命じた!

英祖(ヨンジョ)はイ・ソン(思悼世子〔サドセジャ〕)の死後に後悔した!

張禧嬪(チャン・ヒビン)!側室に転落した王妃

張禧嬪(チャン・ヒビン)の息子の景宗(キョンジョン)はどんな王だったのか

固定ページ:

1

2 3

注目記事のエッセンス1

記事「トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?」

ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

ページ上部へ戻る