朝鮮王朝で一番の悪女は誰なのか?(再読版)

悪女の中の悪女

文定王后は自分が産んだ慶源大君(キョンウォンデグン)を王にするために、手段を選ばぬ悪行を重ねていた。特に、中宗の二番目の正室が産んだ仁宗(インジョン)の暗殺を狙った。
この仁宗が無念のうちに亡くなったとき、人々は路上に跪いて慟哭し、まるで自分の父母を失ったかのように悲しんだ。
これほど民から慕われていた王なのに、文定王后は仁宗の葬儀を冷遇した。
「王位に1年も就いていなかったので、慣例を踏襲しなくてもいい」
葬儀は簡略化され、服喪期間は短くなり、陵墓も格下げとなった。文定王后は仁宗の名誉を著しく傷つけたのだ。
野史(民間に伝承される歴史書)には、文定王后の悪行を記したものもある。
それによると、仁宗の死因は毒殺で文定王后が渡した餅に毒が盛ってあったという。
結局、仁宗の次に慶源大君が即位して13代王・明宗(ミョンジョン)になった。




彼はまだ11歳と幼かったので、政治の実権はすべて文定王后が握った。
彼女は政権の要職を身内で固めて、王朝そのものを強欲に牛耳った。
16世紀なかばの朝鮮半島は、凶作が多くて人々の生活は困窮した。それにもかかわらず、文定王后は有効な対策を立てず、民を見捨てた。
まさに、文定王后は悪女の中の悪女であった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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