文定王后が大妃(王の母)になったことが朝鮮王朝の不運だった!

もし大妃になっていなければ

文定王后も1534年に中宗の二男を産んでいるが、長男が即位しただけに、二男に王位がまわってくることは難しかった。
ところが、仁宗が即位して8カ月で急死してしまった。これには、「文定王后が毒殺したのではないか」という疑いがあり、その可能性もかなり高い。結果的に、文定王后としては、次から次へと自分に有利な状況になっていって、最終的に大妃まで上りつめたのである。
しかし、その裏では、手先となった鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)や、実弟の尹元衡(ユン・ウォニョン)が悪行を重ねていた。その末に、文定王后は大妃になれたのだ。
大妃となった彼女は、自分の息子が幼くして王になったことで摂政を担い、私利私欲をあからさまにした悪政を続けた。




これが、朝鮮王朝にとってどれだけ不幸であったか。歴史に「もしも……」はありえないが、文定王后が大妃になっていなければ、16世紀の朝鮮王朝も大混乱に陥ることはなかっただろう。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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