『オクニョ』の史実!文定(ムンジョン)王后が明宗(ミョンジョン)の命を縮めた(再読版)

 

『オクニョ 運命の女(ひと)』には、文定(ムンジョン)王后と明宗(ミョンジョン)という親子が出ていたが、史実の上で、2人の関係はどういうものだったのだろうか。




庶民の不満が爆発

11代王・中宗(チュンジョン)と文定(ムンジョン)王后(中宗の3人目の正室)の間に生まれた王子が明宗(ミョンジョン)だった。彼は1545年に13代王として即位した。
もともと、明宗は学問を好み性格も温和だった。
しかし、即位したときはまだ11歳だった。
王が未成年の場合は、王族の最長老女性が代理で政治を仕切ることになっていた。その摂政に該当したのが、当時は文定王后だった。
こうして朝鮮王朝の実権は文定王后に握られた。
文定王后は、敵対勢力への迫害を続けながら自分たちの力を強化していった。その結果、国政が乱れ、庶民は不満を募らせていった。
そうした不満が爆発して事件が起こった。
漢陽(ハニャン/現在のソウル)郊外の壁画に、「上では、女が王の上に立って権力を握り、下では、奸臣たちが権力を悪用してやりたい放題。このままでは国が滅亡してしまう。恐ろしいことだ」という落書きが書かれていた。




この出来事に文定王后が怒った。
「これを書いた犯人は誰だ! 絶対につかまえよ」
当時、文定王后の弟の尹元衡(ユン・ウォニョン)が姉の威光で権力を手中にしていた。彼は悪女として有名な鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)と組んで、様々な捏造事件を起こしていた。
(ページ2に続く)

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