光海君は暴君ではなく名君?(歴史編)

 

1623年、仁祖(インジョ)がクーデターを起こして光海君を王宮から追い出すとき、光海君の悪政として4つの点を糾弾した。果たして、その4つは正当な根拠があると言えるのだろうか。




骨肉の争いには前例があった

仁祖が光海君を糾弾した際の4点とは以下のとおりだ。
1.兄弟たちを殺した
2.多くの土木工事を行なって民衆の負担を大きくした
3.中国大陸の明に対して背信行為をして、後金と密通した
4.継母である仁穆(インモク)王后を幽閉した
果たして、4つの糾弾には根拠があるのかどうか。
1つずつ具体的に見ていこう。
王位継承をめぐって親族を殺したのは、光海君が最初ではない。3代王・太宗(テジョン)と7代王・世祖(セジョ)も骨肉の争いの中で兄弟を何人も殺害している。しかし、彼らは罪に問われず死ぬまで王であり続けた。
光海君だけを糾弾するのは酷だ。
次に土木工事について。
国土は朝鮮出兵のときに荒廃しており、その復興を果たす必要があった。なにしろ、王ですら満足に住む王宮がなかったのだから。




光海君が王宮の再建を急いだのも、王の権威を失墜させないために仕方がなかったとも言える。
さらに、クーデター軍は光海君が民衆の負担を増やしたことを問題視したが、むしろ光海君は納税制度を改善して土地を持たない人たちの税負担を軽くしようとした。民衆に過剰な負担を強いたと断言はできない。
続いて、明に対する背信行為について。
むしろ、光海君は巧みな外交術で国家の危機を回避させた。当時、中国大陸では明から後金(後の清)へ勢力が移り変わっており、光海君は後金から侵略されることを一番警戒していたのだ。
結果的に、光海君は外交上の最善策として、朝鮮王朝が生き残れるようにふるまったと考えられる。
以上のように、クーデター軍が糾弾した3つは、正当とは言えない。しかし、継母の仁穆王后を幽閉した件は責められても仕方がない。
(ページ2に続く)

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