英祖はどのようにしてイ・サンを育てたのか(王朝実録編)

 

ドラマ『イ・サン』は、激しい党争の中で常に生命の危機を抱えていた主人公のサンが、少しずつ名君に育っていく過程を描いていました。まさに、現代にも通じる人材育成ドラマでもありました。




英祖の信念

『イ・サン』で重要な役割を演じていたのが、イ・スンジェが演じていた21代王・英祖(ヨンジョ)です。史実での英祖は名君のほまれが高いのですが、その片鱗は『イ・サン』の中でも十分にうかがうことができました。
第43話では、行幸に出た英祖が渓谷でお供のサンに言って聞かせる場面があります。そのときのセリフは次のようなものでした。
「天にのぼる太陽は、この世の万物にあまねく光を当て、流れる水は深いくぼみの隅々まで行き渡るものだ。そちは民にとってそういう王になるのだ」
このセリフによって、英祖がいかにサンに期待していたかがわかります。民衆のための政治を行なうことが朝鮮王朝の王の理想であり、英祖は「サンならばそれができる」と見込んでいたのです。
史実でも、英祖が世孫(セソン/王の後継者となる孫のことで後の正祖〔チョンジョ〕)を見込んで摂政を担当させようとした時期があります。それは1775年11月20日のことでした。英祖は重臣たちを集めて、次のように語りました。




「気力が衰えてきて、1つの政務をやりとげることも難しくなった。まだ若すぎる世孫ではあるが、余は政治のことをわからせてあげたいのだ」
このとき、英祖はすでに81歳になっていました。自分の衰えを感じて、23歳の世孫に摂政をさせたいと考えたのです。しかし、左議政(チャウィジョン/今で言えば副総理)の洪麟漢(ホン・イナン)が猛反対します。
「世孫は政治のことを知る必要がありません」
こんな意味の言葉を洪麟漢は言って、世孫を政治の場からはずそうとしました。こうした態度は英祖をひどく失望させました。
なぜなら、洪麟漢は世孫の母の叔父だったからです。世孫からすれば大叔父になる立場ですが、そんな身内が大反対するとは英祖も思っていなかったのです。
実は、世孫の父だった思悼世子(サドセジャ)は、素行の悪さを理由に英祖から自害を命令されますが、その際に思悼世子を陥れる役割を果たしたのが老論派であり、その中心人物の1人が洪麟漢でした。つまり、洪麟漢としては、世孫が摂政を行なうと、自分の過去を問われる可能性がありました。それを避けるために大反対していたのです。




しかし、英祖は自らの信念を変えませんでした。そこが、彼の立派なところでした。こうして英祖は、世孫を22代王・正祖(ションジョ)として育てていきました。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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