日本と韓国の物語「第4回/雨森芳洲(後編)」

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賤ケ岳の頂上から雨森芳洲の故郷を一望する




まことの心

雨森芳洲が好きな言葉は「誠信」だった。その意味を彼は『交隣提醒』の中でこう説明している。
「誠信の交わり、と多くの人が言っていますが、その多くは文字の意味をしっかりとわかっていません。誠信というのは『まことの心』であり、互いにあざむかず争わず、真実をもって交わることなのです」
まさに名言だ。雨森芳洲はその人生において「誠信の交わり」を実行し続け、1755年に亡くなった。
生まれ故郷の高月町にある雨森芳洲庵。この記念館は「アジア交流ハウス」としての役割を持っている。外国との交流をもっと広げようとするとき、雨森芳洲の思想と生き方は見習うべき模範になっているのだ。
帰路、そのまま家路につくのが惜しくなって、賤ケ岳(しずがたけ)に寄った。古戦場としても有名な山だが、高月駅のとなりの木ノ本駅から徒歩で30分ちょっとのところにリフト乗り場があり、それを使って頂上まで上がった。




そこからの景観は別世界だった。南側の眼下に琵琶湖があり、北側を見下ろせば小さな余呉湖が一望できた。さらに、東側を望めば、美しい近江の平野と山が見える。雨森芳洲庵があるあたりもはっきりと確認できた。
雨森芳洲もこの賤ケ岳に登ったことがあったかもしれない。自分の故郷を美しく一望できる山頂なのだから……。
もう一度、賤ケ岳から雨森芳洲庵の方向を望む。そのとき感じた心強さはまた格別だった。
「互いにあざむかず争わず、真実をもって交わること」
日本が隣国との交流を考えるとき、そこには常に雨森芳洲という最高の手本がいる。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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