日本と韓国の物語「第5回 余大男(前編)」

DSCF5926

加藤清正の銅像




13歳の利発な少年

清正の銅像は、見上げるほどに高い台座の上に立っている。銅像も大きさが約8メートルもあるので、ずっと見上げていると首が痛くなる。
そんな私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)たちをはるかに見下ろすような形で、銅像の姿をした清正は槍を持って熊本城のほうをにらんでいる。
私は首の痛さに耐えながら、しばし清正の銅像を見続けていた。彼によって運命を大きく変えさせられた朝鮮半島出身の少年のことを思いながら……。
豊臣軍が朝鮮半島に攻め入ったのは1592年だった。
以後、秀吉の死によって豊臣の軍勢が引き揚げるまでの6年間、朝鮮半島は凄惨な戦場となった。その中で、朝鮮半島の数多くの人たちが豊臣軍の武将たちによって日本に連れ去られた。専門的な技術や学識を持っているという理由で、陶工、儒者、僧侶たちも捕虜となったが、その中には聡明な少年たちも含まれていた。
当時、儒教社会だった朝鮮半島では漢籍の素養が重んじられていた。そこで、四書五経を習得した少年たちを日本に連れ帰って将来儒者や僧侶にして藩内の文化を発展させよう、という意図を持った武将も少なからずいた。その代表格が清正である。




そして、彼が慶尚道(キョンサンド/朝鮮半島南東部の地域)で見つけた利発な少年が、13歳の余大男(ヨ・デナム)だった。
戦乱の中で寺に避難していたこの少年は、清正の配下の者につかまり、大将の前に引っ張りだされた。
そのとき、少年はスラスラと漢詩の一節をすばらしい書に仕上げた。その達筆ぶりに清正は心から驚いた。
(ページ3に続く)

日本と韓国の物語「第1回/浅川伯教・巧(前編)」

日本と韓国の物語「第2回/浅川伯教・巧(後編)」

日本と韓国の物語「第3回/雨森芳洲(前編)」

日本と韓国の物語「第4回/雨森芳洲(後編)」

日本と韓国の物語「第6回 余大男(後編)」

固定ページ:
1

2

3

注目記事のエッセンス1

記事「トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?」

ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

ページ上部へ戻る