激動の歴史を記録する9「純元王后の悪政」

犠牲になった王

哲宗はすべて純元王后の言いなりだった。
それこそが、純元王后の狙いだった。
彼女は一族の娘を哲宗の正室にして、さらに勢道政治を強化。農民に重税をかけ、洪水や干ばつが起こっても見て見ぬふりをした。
結局、純元王后の頭の中には国家の発展より一族の安泰しかなかったのである。
その純元王后は、1857年に68歳で世を去った。世界が激動していた時期なのに、悪政で朝鮮王朝の近代化を遅らせた張本人だと言える。
そんな彼女に操られた哲宗は、学問にも身が入らず、酒と遊興に溺れた。その末にからだを壊し、1863年12月に32歳で絶命した。




あのまま田舎で農業をして暮らしていたら、哲宗の人生はどのようなものであっただろうか。贅沢はできなかっただろうが、少なくとも人間として純朴に長く生きていけたかもしれない。
哲宗も結局は、権力欲が強い純元王后の犠牲になった王だったのである。

激動の歴史を記録する1「燕山君の悪行」

激動の歴史を記録する2「世祖の非道」

激動の歴史を記録する10「太祖の乱心」

固定ページ:
1

2

注目記事のエッセンス1

記事「トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?」

ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

ページ上部へ戻る