涙の決別宣言
1936年12月10日、イギリス議会はかつてない緊張感に包まれた。出席した全議員だけでなく、外交団席や傍聴席の全員も沈痛な面持ちだった。
ボールドウィン首相が議長に勅語を渡すと、議長はふるえる手で勅語を持ちながら、その文面を読み始めた。
「私はここに最終的な固い決意を宣告する。イギリス国王の王位を退くことを決心した。私は、公共の利益を先にすべき国王たる者の義務を軽視するものではない。しかし、私はこの重責を果たすことができないことを認識するに至った」
こうして、世界史に例を見ない“恋愛を全うするための退位”は、全世界に発表されたのである。
退位してウィンザー公になったエドワード8世は、翌11日の夜、ラジオを通して全国民に訣別のあいさつをした。
劇場や映画館はいっとき閉鎖され、街のいたるところに置かれたラジオには、黒山の人だかりができた。
「私は、愛する婦人の援助なくしては、国王としての重責と任務を果たすことができなくなったのだ。今や公務の一切から離れ、重荷を降ろした。しばらく故国には帰らないだろう」
庶民的な人柄で人気があった元国王の言葉は、誰もが涙なくしては聞けなかった。歓喜にむせんだのはたった1人……カンヌで待っていたウォリスは、放送の瞬間、大声を出しながら花瓶を投げて喜びを表現した。
エドワード8世はメアリー皇太后や新国王ジョージ6世と別れの宴を催したあと、ポーツマス軍港から駆逐艦ウルフハウンド号に乗って、ウォリスが待つカンヌへと向かった。
くしくも、ジョージ5世が予告したように、エドワード8世は1年ももたなかった。正式な在位期間は324日だった。
〔その後〕
ジヨージ6世の戴冠式は1937年5月12日に行なわれた。式の
あと、宮殿のバルコニーでにこやかに手を振っていたのが、11歳の
エリザベス王女だった。のちに彼女が女王の座につくことになったの
も、もとはエドワード8世の退位がきっかけであった。
その1カ月後に、南フランスの古城でエドワード8世とウォリスの
結婚式が行なわれた。その後の2人は、1972年にエドワード8世
が亡くなるまで、フランスで使用人30人に囲まれた贅沢ざんまいの
生活を送った。