936年に朝鮮半島を統一した高麗(コリョ)。当初は有力な豪族たちがひしめいて、国もまだ不安定だった。そんな初期の高麗王朝で名君と称されたのが、4代王の光宗(クァンジョン)だった。イ・ジュンギ主演の『麗<レイ>~花萌ゆる8人の皇子たち~』で主人公になった王だ。果たして、どんな人物だったのだろうか。
奴婢按検法とは何か
光宗(クァンジョン)は、高麗王朝を建国した王建(ワンゴン)の四男だった。
彼は複雑な政治家一家の中で育った。
異母兄の2代王・恵宗(ヘジョン)は、定宗(チョンジョン)によって王位を追われた。定宗は、光宗の実兄である。しかし、その定宗も即位4年で病床に伏した。その結果、光宗が4代王として即位した。
彼は若く壮健で、支持者もしっかりとしていた。
何よりも、頭脳明晰だった。成し遂げた成果も多い。
画期的だったのが、956年の「奴婢按検法」であった。
これは、どんな法律なのか。
実は、奴婢の身分を調査して平民出身だった者の立場を回復する法律なのだ。
しかし、奴婢按検法が出ると、建国に貢献した豪族たちが激怒した。当時、奴婢は戦時に捕虜になった平民が多く、彼らは有力豪族たちの私兵として働いていたからだ。それを解放してしまうと、豪族たちは兵を減らす結果になってしまう。それゆえに、豪族たちは抵抗したのだ。
それに構わず、光宗は958年に、人材登用を目的に「科挙」を採用した。(ページ2に続く)
粛宗(スクチョン)の母が張禧嬪(チャン・ヒビン)を王宮から追い出した!