朝鮮王朝三大悪女の鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)は救いようがない悪女!

 

鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)の母は奴婢(ぬひ)だったために、普通なら鄭蘭貞も同じ境遇で生きなければならなかったのだが、彼女は自ら妓生(キセン)となって人生の上昇気流に乗ろうとした。




重宝できる手先

妓生として宴席で酔客のとなりに座りながら、鄭蘭貞は人間をよく観察し、出世の相がある人物をさがした。その中で、めざとい鄭蘭貞が目をつけたのが尹元衡(ユン・ウォニョン)だった。
尹元衡は、11代王・中宗(チュンジョン)の継妃となった文定(ムンジョン)王后の実弟である。
文定王后に引き立てられて、尹元衡も高官にのぼりつめていた。
その尹元衡……姉の権力に乗って高位を得た傲慢な男にとって、美貌の妓生を妾にするのは自尊心をくすぐることであった。
しかし、鄭蘭貞のほうは高官の妾ではとうてい満足できなかった。彼女は初めから尹元衡の正妻になることを狙っていた。
鄭蘭貞は文定王后に認められたくて仕方がなかった。そこで考えたのは文定王后が警戒していた敬嬪(キョンビン)・朴(パク)氏を追放して点数をかせぐことだった。当時、敬嬪・朴氏は中宗にもっとも気に入られていた側室だった。
1527年、「灼鼠(しゃくそ)の変」が起きた。これは、世子が住む東宮の庭で、火であぶられたネズミの死体が木にくくられていた事件だった。それだけでなく、景福宮の大殿でも焼け死んだネズミが見つかった。
世子は子年の生まれだった。不可解な出来事は世子の将来を不吉に見せる仕業と思われた。誰がこんなことをしでかしたのか。




執拗に犯人探しが行なわれた結果、当日の敬嬪・朴氏の行動が怪しいということになり、彼女は宮中から追放された。
しかし、現在では「灼鼠の変」をしかけたのは鄭蘭貞だ、という説が有力だ。
こうして、鄭蘭貞は文定王后にとって「重宝できる手先」となった。
1544年に中宗が亡くなり、世子が即位して仁宗(インジョン)となったが、わずか8カ月で急死してしまった。
文定王后は、かねてから仁宗の毒殺を狙っていたので、鄭蘭貞が陰で動いた可能性が高い。
結局、文定王后が産んだ息子が仁宗の後を継いで、13代王の明宗(ミョンジョン)として即位した。
(ページ2に続く)

女帝の手先として暗躍した鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)

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