トンイは息子を王にするために何をした?

死後に叶った願い

粛宗は、淑嬪・崔氏の告発により張禧嬪が呪詛を行なっていたことを知った。そのことに激怒した彼は、張禧嬪を死罪に処してしまう。
当時、世子(セジャ/王の後継者)に指名されていたのは張禧嬪の息子だった。このとき、淑嬪・崔氏は自分の息子を王にするための方法を考えていたのかもしれない。そのためには、張禧嬪の息子を世子の立場から落とす必要があった。
それで、淑嬪・崔氏は張禧嬪の呪詛を粛宗に告げ口したのかもしれない。彼女は、ドラマ『トンイ』で描かれていた姿とは違う一面を持っていた可能性もある。




その淑嬪・崔氏の息子が、21代王の英祖(ヨンジョ)である。淑嬪・崔氏は1718年に世を去ったが、その6年後に息子が王に即位した。
つまり、淑嬪・崔氏は死後に願いを叶えたのである。

文=康 大地(コウ ダイチ)

トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?

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記事「トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?」

ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

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