トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?

 

ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。




本当にトンイの毒殺はあったのか

ドラマ『トンイ』の主人公になっていたのは、19代王・粛宗(スクチョン)の側室だった淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏である。彼女はトンイという名前でドラマに登場する。
トンイと張禧嬪はお互いにライバル関係にあったのだが、朝鮮王朝の正式な歴史書である「朝鮮王朝実録」を丹念に読んでいくと、張禧嬪よりトンイのほうが悪女であったと思われる根拠がいくつもある。それを3つに整理してみよう。
1つ目の根拠。
側室から王妃になった張禧嬪だったが、1694年4月に王妃から側室に降格になっている。その理由になっているのは、「張禧嬪の兄である張希載(チャン・ヒジェ)がトンイを毒殺しようとしていた」という告発があったからである。この告発は宮中を揺るがす大事件に発展し、結果的に張希載は済州島(チェジュド)に流罪となった。その後、張禧嬪は王妃から側室に降格になっている。




すべては、トンイが毒殺されようとしていたという告発が根拠になったのだが、その告発に明確な証拠があったわけではない。ということは、偽りの告発だったとも想定できる。本当に、張希載がトンイを毒殺しようとしたのかどうか。
たとえトンイを毒殺したからといって、張禧嬪の側は何も有利になる状況ではなかっただけに、そういうたくらみをする可能性が低いと判断せざるを得ない。
2つ目の根拠。
粛宗の正室だった仁顕(イニョン)王后は、長い病気の末に1701年8月に亡くなっている。それから40日後に、トンイが粛宗に「張禧嬪が仁顕王后を呪い殺そうとしていた」という告発を行なっている。
ただ、非常に怪しいのは、仁顕王后が亡くなってから40日も経ってから告発したことである。トンイがその事実を知っていたのであれば、なぜ、もっと早く言わなかったのだろうか。
実際に、仁顕王后の屋敷の周りから、呪詛(じゅそ)に使ったと思われる呪いの品物が発見されている。しかし、それを張禧嬪が埋めたという証拠は1つもない。たとえば、トンイが自分で埋めて告発したとも言える。その準備のために40日もかかったのではないだろか。




このとき、粛宗の息子は、張禧嬪が産んだ世子(セジャ)とトンイが産んだ二男がいた。張禧嬪は、そのまま何もしなければ、自分の息子が王になれる。しかし、トンイの場合は二男であるため、張禧嬪の息子を排斥しなければ、自分の息子が王になれない。
しかも、すでに長い病床にあった仁顕王后はもう長くは生きられなかった。そんな王妃を、張禧嬪が危険を冒して呪詛する必要はまったくないのである。
むしろ、トンイのほうが張禧嬪を陥れる必要があり、それがこの告発だったのではないかという推理も成り立つ。
(ページ2に続く)

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ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

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