トンイは息子を王にするために何をした?(特別編)

王の寵愛を受けた淑嬪・崔氏

張禧嬪を愛する気持ちを完全に失ってしまった粛宗が、別の女性を寵愛するようになってしまったのだ。
その女性こそ、張禧嬪のライバルと言われる淑嬪・崔氏である。
結果的に張禧嬪を王妃から側室に戻した粛宗は、一度は廃妃にした仁顕王后を王妃に復位させた。
それでも王の息子を産んでいる張禧嬪のほうが、淑嬪・崔氏より立場が上だった。
しかし、そんな張禧嬪の立場を脅かす出来事が起きる。1694年に淑嬪・崔氏が粛宗の息子を産んだのである。




その後、張禧嬪は呪詛(じゅそ)を行なって王妃に復位した仁顕王后に呪いをかけようとした。
それが原因かはわからないが、仁顕王后は1701年に世を去っている。
(ページ3に続く)

トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?

トンイ(淑嬪・崔氏)が王宮入りした経緯が怪しい!

トンイ(淑嬪・崔氏)は陰で何を画策していたのか?

『トンイ』と史実!張禧嬪(チャン・ヒビン)の最期がまるで違う

実直な淑嬪・崔氏(トンイ)/朝鮮王朝美女列伝3

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注目記事のエッセンス1

記事「トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?」

ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

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