朝鮮王朝の三大悪女を五大悪女にするなら誰を加えるべきか?(歴史編)

 

悪行を重ねた女性

3人目は張禧嬪です。
19代王・粛宗(スクチョン)に寵愛され、一介の女官から側室になりました。さらに、王の長男を産んで1689年には王妃にまで昇格します。
女官から王妃にまで、というように一番の出世を果たしましたが、1694年に王妃から側室に降格した後、1701年には死罪になっています。仁顕(イニョン)王后を呪い殺そうとした罪を問われたのです。
以上のように紹介した3人はみんな悲惨な死に方をしています。因果応報を受けたと言えるかもしれません。
この三大悪女よりもっと悪行を重ねたと思われる女性が2人います。
1人は金介屎(キム・ゲシ)です。
彼女は15代王・光海君(クァンヘグン)に仕えた女官です。
光海君は1608年に即位しましたが、兄の臨海君(イメグン)と激しく対立していました。




すると、金介屎は臨海君の殺害を主導しました。さらには、光海君の王位を脅かす恐れがあった永昌(ヨンチャン)大君(光海君の異母弟)を江華島(カンファド)に流罪にして、1614年に暗殺しています。
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