国王や世子を毒殺した疑いをかけられた五大王族/朝鮮王朝人物特選17

次の3人

仁祖(インジョ)
[1595~1649年]
16代王。在位は1623~1649年。即位前は綾陽君(ヌンヤングン)と言われた。1623年、光海君(クァンヘグン)を追放して即位したが、反乱なども起こり、苦しい王政を強いられた。1637年、清に攻められて降伏。清の皇帝の前で頭を地面につけて謝罪するという屈辱を受けた。1645年には清の文明を称賛した息子の昭顕世子(ソヒョンセジャ)を毒殺した疑いが濃い。

英祖(ヨンジョ)
[1694~1776年]
異母兄の景宗(キョンジョン)が1720年に20代王として即位したが、わずか4年で亡くなった。当時は英祖が毒殺したという疑惑が宮中に広まった。結局、英祖は1724年に即位して21代王となった。世継ぎの思悼世子(サドセジャ)を米びつに閉じ込めて餓死させたことが汚点として残る。




貞純王后(チョンスンワンフ)
[1745~1805年]
英祖の二番目の正妻。英祖より年齢が51歳下だった。英祖の息子であった思悼世子は10歳上で、相性が悪かったこともあり、思悼世子を失脚させるために陰で動いた。22代王・正祖(チョンジョ)の時代になってかろうじて罪を免れたが、1800年に正祖が亡くなったときは毒殺説の首謀者と見なされた。23代王・純祖(スンジョ)の後見人となり、キリスト教徒の虐殺事件を引き起こしている。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

悲劇の五大世子/朝鮮王朝人物特選1

無念の五大国王/朝鮮王朝人物特選2

悪評の五大国王/朝鮮王朝人物特選3

兄弟に殺された悲劇の五大王子/朝鮮王朝人物特選15

自らの信念に生きた五大義人/朝鮮王朝人物特選16

固定ページ:
1

2

注目記事のエッセンス1

記事「トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?」

ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

ページ上部へ戻る