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日本と韓国の物語「第15回/日延(後編)」
26歳のときに誕生寺の貫主となった日延。その功績は大きかった。祖師堂を建立したことでも知られており、誕生寺の宝物館に行くと、今でも祖師堂を建立したときに日延が書いた棟札(むねふだ)が残っている。日付は… -
日本と韓国の物語「第14回/日延(前編)」
JR外房線の安房小湊駅で降りると駅前に人影はまばらで、タクシーが列をなして客を待っていた。時期は7月の第2週目であった。あと1週間もすれば子供たちも夏休みとなり、大勢の海水浴客が訪れることだろう。しか… -
日本と韓国の物語「第13回/若光(後編)」
JR大磯駅の東側2キロメートルのところにある高来(たかく)神社。鎌倉時代から格式がある大寺として知られ、源頼朝の政子夫人も安産祈願をしたという記録が残っている。ここはかつて高麗(こま)寺と呼ばれていた… -
日本と韓国の物語「第12回/若光(前編)」
666年のことである。朝鮮半島の高句麗(コグリョ)から外交使節が来日して、日本の朝廷に依頼書を差し出した。彼らは、何のために日本に来たのか。救援の軍勢を送ってほしいと頼みに来たのである。 [ca… -
日本と韓国の物語「第11回/布施辰治(後編)」
日本国内で朝鮮半島出身者の弁護に精を出す中で、布施辰治は植民地下の朝鮮半島に何度も渡っている。1923年には独立運動家を弁護するために朝鮮半島に行っているし、以後も1926年、1927年と現地に入り、… -
日本と韓国の物語「第10回/布施辰治(前編)」
宮城県石巻市の蛇田地区。「あけぼの南公園」という小さな公園がある。そこを訪ねたのは2009年12月のことだった。私は公園の端にあった横長の顕彰碑に近づき、ずっと見ていた。 [caption id… -
日本と韓国の物語「第9回/李秀賢(後編)」
JR新大久保駅で、線路に落ちた人を助けようとして2001年1月26日に亡くなった李秀賢さん。彼が通っていた赤門会日本語学校には全国から多数の手紙と見舞金が寄せられた。 [caption id="… -
日本と韓国の物語「第8回/李秀賢(中編)」
2001年1月26日にJR新大久保駅で、線路に落ちた人を助けようとして電車にひかれて亡くなった李秀賢(イ・スヒョン)さん。私(康熙奉〔カン・ヒボン〕)が、釜山(プサン)にある李秀賢さんの実家を訪ねたの… -
日本と韓国の物語「第7回/李秀賢(前編)」
2001年1月26日の午後7時15分頃のことだった。場所はJR新大久保駅のプラットホーム。そこで飲酒していた男性(37歳)が、ふらふらして山手線の内回りの線路に落ちた。それを見た2人の男性が、落ちた男… -
日本と韓国の物語「第6回 余大男(後編)」
豊臣軍による朝鮮出兵の際、13歳の余大男(ヨ・デナム)は加藤清正の軍につかまり、日本に連れてこられた。利発だった彼は僧侶としての修行を積み、1609年に29歳の若さで本妙寺(ほんみょうじ)の住職になっ…