反感を買った男
応対した小僧に秀吉は感心した。
10代はじめで利発そうな顔をしている。秀吉は寺から小僧をもらいうけて小姓にした。それが後の三成であった。
話ができすぎている。かなり尾ひれがついているだろうが、三成の賢さを言い表すのに向いている。
ただし、三成は逸話に出てくるほどには人の心が読めていなかったかもしれない。おのれの才に頼りすぎるところがあった。その点が弱みであるはずなのだが、才を誇る人はそのことに気づかない。
朝鮮出兵の際、石田三成は秀吉の名代となる朝鮮奉行を務めたが、朝鮮半島で戦った大名の中には、三成に反感を持つ者が非常に多かった。
彼らは不慣れな異国で寒さと飢えに苦しみながら、秀吉の命令に従わざるを得なかった。それほど塗炭の苦しみを味わったというのに、内地では戦地の苦労を知らない官吏のような男たちが情のない報告を秀吉にあげていた。
そればかりか、ちょっとした失敗も重箱の隅をつつくように指摘された。たまったものではない。諸大名たちにすれば、三成ほど憎らしい小役人は他にいない、という気持ちだったことだろう。(ページ3に続く)