失われた世界の郷愁
「三成憎し」の感情が、後に徳川家康に利用されて、関ケ原の合戦につながった。その三成が西軍を率いたのだから、やはり西軍には勝ち目がなかったのかもしれない。
三成が京でさらし首になったあと、彦根に入ってきたのは徳川譜代の井伊家だった。建てた城が彦根城で、三成が築いた佐和山城は廃城となった。
今、佐和山にのぼって、城跡から眼下を見下ろす。
遠くに琵琶湖が見えるが、その手前に彦根城が堂々たる威容を見せている。
今は跡形もない佐和山城だが、三成が存命中は「あの男に不釣り合いなほど立派な城だ」と言われていたらしい。
三成は自分の禄高以上に豪壮な城を建てたのであった。
目を閉じて、城があった当時のことを思い浮かべようとする。
風が心地よい。
廃城を訪ねる楽しみは、きっと、そこに失われた世界の郷愁が漂っているからだろう。
文=康 熙奉〔カン ヒボン〕