朝鮮王朝最高の名君だった世宗(セジョン)

忠寧の即位

2人の兄から権利を譲られたことにより、忠寧が後継ぎとなり、1418年に4代王・世宗として即位した。しかし、王になったばかりで経験が浅かった世宗だが、実際に実権を握っていたのは父親の太宗だった。そのため、太宗が王だったときと何も変わっていなかった。




1422年、太宗が世を去ったことにより、世宗が正真正銘の王となって実力を発揮した。もともと聡明だった彼が持つ指導力は、政治や経済など幅広く及んだ。さらに世宗は、王に何か不備があったとき混乱しないように国権を分散して、後継ぎにも一定の権力を渡している。
彼は、本来なら厳しい身分制度によって、今までできなかった「身分の低い人にも役職を与えて出世させる」ということを行なうなど、人事活用の面でも優れた才能を発揮した。(ページ3に続く)

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