張禧嬪(チャン・ヒビン)!側室に転落した王妃

張禧嬪について紹介している『いまの韓国時代劇を楽しむための朝鮮王朝の人物と歴史』(康熙奉〔カン・ヒボン〕著/実業之日本社発行)

ライバル登場

粛宗は初めて息子が生まれたことを喜び、昀を世子(セジャ/王の後継者)の候補として元子(ウォンジャ)にすることを高官たちに伝えた。
それを聞いた高官たちは、仁顕王后がまだ子供を産む可能性があることを理由に大きく反対した。しかし、粛宗はその意見をすべて無視した。
さらに、粛宗は嫉妬深いという理由をつけて仁顕王后を廃妃にしたため、張禧嬪を新たな王妃として迎えている。




このように張禧嬪が王妃となったことで、息子の昀も世子となった。もはや彼女に不可能はなかったが、ここから彼女の人生は大きく転落することになる。
そのきっかけとなったのが、淑嬪(スクピン)・崔(チェ)氏の登場である。
当時、王宮で水汲みなどの下働きをしていた彼女に心を奪われた粛宗。すでに張禧嬪への愛を完全に失っていたこともあって、彼は淑嬪・崔氏を寵愛するようになる。その後、淑嬪・崔氏は、1694年に粛宗の息子を産む。(ページ3に続く)

粛宗(スクチョン)の母が張禧嬪(チャン・ヒビン)を王宮から追い出した!

トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?

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ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

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