韓国が日本の植民地になって何が起きたのか

創氏改名

日中戦争が1937年7月に始まると、朝鮮半島は日本軍にとっても重要な拠点になりました。戦火が激しくなると、軍需に不可欠な鉱物資源の採掘が朝鮮半島の各地で行なわれました。
さらに、朝鮮半島の人々を皇民化する動きも加速します。
1939年12月、朝鮮総督府は「朝鮮民事令改正」を発令しました。これは、1940年8月10日を期限として、民衆に日本式の名前への改姓を強制するものでした。いわゆる「創氏改名」です。
朝鮮総督府は、路上や列車内で人々を尋問して創氏改名の実施状況を徹底的に調査しました。
従わない人には多くの罰則が設けられました。




朝鮮半島の人々にとって「姓」は民族の誇りを示す象徴的なものです。それだけに創氏改名は受け入れがたかったのですが、それを強制されることで、自尊心が著しく傷つけられました。
1941年12月、日本はアメリカに宣戦布告しました。
戦局が激化すると、多くの人たちが日本国内の炭鉱や軍需工場で強制的に働かされたり、兵士として戦場に駆り出されたりしました。男性ばかりではなく、女性も徴用されるようになりました。その一部の人たちはいわゆる「従軍慰安婦」と呼ばれ、今も日韓の外交課題になっています。
1945年8月15日、日本の敗戦によって、朝鮮半島はようやく植民地支配から解放されました。
今でも毎年8月15日は、「光復節」として韓国で一番重要な祝日になっています。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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