摂政となった祖母
さらに、貞憙王后は力説した。
「ご覧の通り、主上の忘れ形の斉安はまだ幼く、月山は生まれつき体が優れない。それに比べて者山は12歳と若いですが、立派な人柄です。亡き世祖様も者山のご気性をよく太祖様(初代王)になぞらえて褒めておりました。皆様いかがでしょう」
もはや貞憙王后の決定に異論を唱えられる人物はいなかった。
何よりも、貞憙王后が者山を王にしたかったのには特別な理由があった。
まず、月山と者山の兄弟は、世祖時代からの重鎮である韓明澮(ハン・ミョンフェ)の親族にあたる存在だったため、彼の協力を得るためには、兄弟のどちらかを王にしなければならなかった。韓明澮は世祖が王位につくために尽力した最大の功労者で、最高の権力も有していた。貞憙王后は彼の増長を恐れもしたが、それ以上に彼の防波堤としての役割を買ったのだ。
また、王が成人するまでの間、貞憙王后は王の後継人として権力を自由に使えるようになりたかった。
つまり、摂政がしたかったのだ。それを長くするために、月山よりも若い者山を王に就かせることを望んだ。
こうして者山は1469年、12歳で9代王の成宗(ソンジョン)となった。
もくろみ通り、成宗の祖母の貞憙王后は1469年から1476年までの7年間にわたって摂政を続けた。
その間、彼女と韓明澮は権力を一手に握った。成宗はそうした権力の乱用に関わることなく、日夜勉学に励み王としての徳を積んでいった。
文=慎虎俊(シン・ホジュン)
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