日本と韓国の歴史を振り返る/第11回「百済寺跡と鬼室神社」

鬼室集斯の墓碑が納められた石祠




鬼室神社

豊璋の弟の子孫が日本に定着した一方で、彼に殺された鬼室福信の一族はどうなったのか。実は、福信の直系が日本に移り住んでいた。
その名は鬼室(キシル)集斯(チプサ)。
福信の息子である。
父が豊璋に殺されたあと、とばっちりで命を落とさなかったのは幸いだった。彼は一族郎党と一緒に日本に逃れてきて、畿内に定住した。
朝廷によほど強い百済系の人脈があったのか。
あるいは、学識が抜きんでていたのか。
集斯は学識頭(教育を司る役所の長官)に任じられた。後に近江の小野(この)に住み、688年に没して埋葬された。
その場所が鬼室神社となった。
訪ねてみると、古びた本殿の裏に石祠があり、高さ1メートルほどの石の扉の中に集斯の墓碑が納められていた。




墓碑をこの目で確かめてはいない。石の扉を開けられなかったので、掲示板の写真で確認したのみである。
写真によると、墓碑はコケシのようにくびれがある形をしていた。高さは70センチほどであろうか。こじんまりした大きさのようだ。
集斯が世を去って1400年以上が過ぎている。鬼室神社の周囲はなだらかな丘陵地帯で、近江を象徴するような広い平野部ではない。起伏のある土地の隅々から小動物がひょっこり姿を現しそうである。
この土地を終の住処にしながら、集斯は亡国となった百済をどのように偲んだのであろうか。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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