強制退位させられた五大国王/朝鮮王朝人物特選11

残りの2人

◆光海君(クァンヘグン)
[1575~1641年]
15代王。在位は1608~1623年。14代王・宣祖(ソンジョ)の2男で、即位と同時に血の粛清に乗り出した。兄の臨海君(イメグン)を自決させ、異母弟の永昌大君(ヨンチャンデグン)を殺した。政治的業績は多かったと言われるが、身内を殺害した非道を問われて、1623年にクーデターで王位を追われた。最後は済州島(チェジュド)に流されて66歳で世を去った。

◆高宗(コジョン)
[1852~1919年]
26代王。在位は1863~1907年。19世紀後半の激動期に王位に就いていたが、日本や欧米諸国の干渉を受けて苦しい政治を強いられた。1897年、朝鮮王朝が大韓帝国と国号を変更したのにともない、初代皇帝に就任した。




1907年のハーグ密使事件(オランダのハーグで行なわれた平和会議に、日本による干渉の不当性を訴える密使を派遣した事件)の責任を問われ、日本の圧力で退位せざるをえなかった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

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