兄弟に殺された悲劇の五大王子/朝鮮王朝人物特選15

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臨海君(イメグン)
[1574~1609年]
14代王・宣祖(ソンジョ)の長男。16世紀末、豊臣軍との戦乱の中で捕虜になってしまい、解放後にはその屈辱から酒びたりになった。素行の悪さが原因で、王の後継者になれなかった。1608年に弟の光海君(クァンヘグン)が即位すると、盛んに弟を強く批判するようになった。それによって危険人物と見なされて、1609年に殺されてしまった。

永昌大君(ヨンチャンデグン)
[1606~1614年]
14代王・宣祖(ソンジョ)の嫡男。母は仁穆(インモク)王后。2歳のときに宣祖が亡くなり、王位は異母兄の光海君(クァンヘグン)が継いだ。




宣祖の正室の息子であったことで、宣祖の側室の息子だった光海君によって警戒され、流罪になった末に1614年に殺害されてしまった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

悲劇の五大世子/朝鮮王朝人物特選1

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記事「トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?」

ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

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