激動の歴史を記録する12「明聖王后の溺愛」

真冬の水浴び

明聖王后の息子への溺愛ぶりは宮中でも有名だった。それだけに、粛宗が原因不明の重病に陥ったとき、明聖王后は取り乱した。
巫女(みこ)を呼んで祈祷をすると、その巫女からこう言われた。
「母の体内にわざわいがあり、それが息子の病の元になっている。わざわいを解くには、水でからだを清めること」
そこまで言われたら、水浴びをしないわけにはいかない。
いや、むしろ、明聖王后は自ら進んで何日も水浴びをした。
しかし、季節は真冬だった。




身が凍るような冷水は明聖王后を極端に衰弱させた。その果てに、彼女は1683年に41歳で亡くなった。
しかし、その死は無駄ではなかった。
(ページ3に続く)

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