浅草を気ままに歩く(前編)

本堂の前の焼香台

A-3

浅草寺の本堂

もともと、仲見世は浅草寺の支院が立ち並んでいる通りだった。一七〇〇年の前後、浅草寺の境内を掃除していた人たちへのお礼として、支院の軒先に小さな店を出すことが許された。以来、それぞれの店は看板娘を店頭に配して参拝客を引き留めた。その光景は今も変わらない。看板娘は奥に引っ込んでしまったが……。
年間三千万人を相手にできるという恩恵は、はかりしれない。仲見世の店は、掃除好きな先祖に大いに感謝すべきだろう。
そんなことを思いながら歩いていると、新仲見世通り、伝法院通りを次々に横切る。たどり着いたのは宝蔵門。鉄筋コンクリートで造られた重層の楼門だ。
従えている仁王像は、左が「阿形(あぎょう)」、右が「吽形(うんぎょう)」。男二人、女一人の二十代三人組が両方を見比べていたら、その中の男が「阿吽(あうん)の呼吸と言うだろ。二つの仁王像の息が合っていることからできた言葉だよ」と言っていた。りっぱな講釈である。日本の若者も頼もしい。
宝蔵門をくぐると、目の前に本堂が見えてくる。長い間の改修工事のおかげで、屋根の瓦がピカピカしている。
その姿を見るにつけ、改修中に参拝に来た人は不運だったなあ、と思う。本堂が作業用の覆いで見えないと、ご利益も半減するような気分になったことだろう。
必然的に賽銭も渋る。別に浅草寺の社務所で確認したわけではないが(聞いたって教えてくれない)、参拝客の賽銭も目減りしたことだろう。
本堂の前には大きな焼香台がある。
参拝客が置いた線香からモウモウと煙が立ち込めている。
そこに人々が群がって、煙を手元に呼び寄せて気になる部位にかけている。頭だったり、肩だったり、胸だったり。
煙をかけるとその部位が良くなるという言い伝えがあるかせだ。
私も子供のときはよく顔にかけたが……。
その結果は友人のみんなが知っている。
今は、人がやっているのを見るだけだ。大勢の人にまぎれて、股間に煙を誘導している中年の男性がいた。願いは切実である。
かつて、朝早く来たときに、その焼香台を熱心に拭いている係の男性がいた。口にマスクをして緑色のジャンパーを着ていた。その男性が拭いている焼香台の下のほうには、灰が積もっていた。
「こんなに灰がたまっているんですね」
そう話しかけると、男性は雑巾を動かす手を休めず「毎日のことだからねえ」と言った。その「毎日」という言葉に強いアクセントがあった。(ページ3に続く)

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