浅草を気ままに歩く(前編)

浅草寺の縁起

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浅草寺の名を高めたのが、実は徳川家康だった。
豊臣秀吉が権勢をふるった時代、関東に移封された徳川家康は江戸に入府すると、江戸城の鬼門にあたる浅草寺を祈願所に指定し、寺領五百石を与えて保護した。
さらに、慶長五年(一六〇〇年)、関ヶ原合戦の前、家康は勝利を浅草寺で祈念している。その願いが成就して、浅草寺は全国の武将から信任を得た。以後、浅草寺の名は全国に轟いた。
それは今も変わらない。大勢の参拝客がひっきりなしに本堂の中に入っていく。
本尊は観世音菩薩。「願えばご利益がある」という観音信仰。このわかりやすさが、多くの老若男女を集める。
私もご利益にあずかりたいが、まだ中には入らない。その前に、浅草寺の縁起について語らせてもらう。
その昔、といっても今から一四〇〇年ほど前だが、檜前(ひのくま)という姓を持った浜成(はまなり)、竹成(たけなり)の兄弟が隅田川で漁をして暮らしていた。
ある日、いくら頑張っても、網に魚がまったくかからなかった。そういうツイてない日があるもんだ。兄弟がションボリしていたら、ようやく網に何かが引っかかった。重いからよほどの大物だろう、と喜んで引き上げてみると、なんと仏像だった。
兄弟は仏像の価値がわからないので、ガッカリしてすぐに川に捨ててしまった。けれど、この仏像はしつこい。兄弟が何度も場所を変えて網をしかけても、その度に仏像が引っかかる。
そのうち、兄弟も仏像がただものではないと気づき、地元の博学として知られた土師中知(はじのなかとも)に見せた。すると、それがりっぱな観世音菩薩であることがわかった。(ページ4に続く)

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