愛と別れの恋愛博物館〔第2回〕

騒乱のロイヤル・ウェディング

レーニエ大公とグレースの結婚式は、厳粛で神聖なものになるはずだった。レーニエ大公も「身内だけでひっそりと結婚したい」と希望していた。

しかし、「20世紀最大」といわれたロマンスをマスコミが黙って見ているわけがない。その3年前に行なわれたエリザベス女王の戴冠式を上まわる1500人の記者やカメラマンが集まり、さらに把握できないほど多数の観光客が押しかけて混乱に拍車をかけた。

それにもかかわらず、レーニエ大公はプレスルームも設けず、記者会見も開かなかった。写真を撮る機会さえも奪われたカメラマンたちの不満は爆発し、警備陣との殴り合いも随所で見られた。ついにグレースに直訴するカメラマンも現れた。

「私たちの声を聞いてください。まるで浮浪者のような扱いを受けているんです!」

マスコミに対する冷たい仕打ちは記者たちを怒らせ、はらいせにモナコのことを「荒廃したみすぼらしい国」などと酷評する記者もいた。

レーニエ大公が「結婚式を営利目的に利用したくない」とコメントを発表すると、記者たちは「こんな滑稽なことは久しく聞いたことがない」と嘲笑する始末だった。

こうした混乱の中で、レーニエ大公とグレースの結婚式は1956年4月18日、24カ国83人の代表が居並ぶ中、モナコ王宮の「王冠の間」で行なわれた。翌日にサン・ニコラ大聖堂で神に結婚を誓った2人は、王室専用のヨットを地中海に浮かべて、逃げるようにハネムーンに出発した。

2人は疲れ切っていた。港で見送る人たちの姿が見えなくなると、2人はデッキチェアに崩れ落ちた。

「早くこの結婚式のことは忘れたい。そうでないと、ずっと悪夢にうなされそうだ」

現代のおとぎ話には、最後までマスコミという野獣がついてまわることを、レーニエ大公とグレースはつくづく思い知らされた。

 

〔その後〕

結婚後のグレースは1男2女を出産。赤十字活動にも尽力するなど、

王妃としての務めを十分に果たし、モナコ国民からも尊敬を集めてい

た。しかし、1982年9月、モナコ国境に近いフランス南部の山道

で自動車事故に遇い、53歳の生涯を閉じた。息を引き取ったのは、

くしくも自分の名を冠した「グレース王妃病院」だった。

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