人はなぜマラソンを走るのか(前編)

ドランドの悲劇

以後のオリンピックでもマラソンの距離は確定せず、40キロメートル前後とあいまいな距離に終始していた。1921年に開かれた国際陸連の総会で議論噴出の末にロンドン五輪のマラソン距離を基準にすることになり、1924年パリ五輪からマラソンは正式に42・195キロメートルになった。

いわば、マラソンにとって画期的な大会になったロンドン五輪では、有名な「ドランドの悲劇」も起こっている。

トップで競技場に戻ってきたイタリアのドランド・ピエトリ選手は、疲労が甚だしくゴールを目の前に転倒。観衆の「早く助けろ」という声に促されて競技役員が助け起こしたのだが、支えを受けたことを理由にピエトリは失格。2位のヘイズ(アメリカ)が繰り上がって優勝した。

失神してもゴールに執念を燃やしたピエトリ。結末はあまりに哀しかったが、判官贔屓の人たちの心をくすぐって、悲劇のヒーローに祭り上げられた。

抜け目のない興業師がピエトリとヘイズの再戦を企画し、4カ月後にニューヨークで両者の長距離対決が行われ、大変な人気を集めた。結果はピエトリが勝ち、五輪で失格したとはいえ実力はナンバーワンであることを見事に証明した。

「ドランドの悲劇」が象徴するように、人間の限界に挑むマラソンは、その苦難ゆえに数々のドラマを生んだ。それがまた、観衆を引きつけた。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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