自害した勝家
覚悟を決めた勝家は、その夜に一族や側近を集めて酒宴を開いた。
彼のそばには、前年の秋に嫁いできたお市の方がいた。
彼女は信長の妹。最初は浅井長政の妻となった。長政が信長に攻められて自害した後にひっそり暮らしていたが、兄が本能寺で世を去ったあとに勝家と再婚していた。
勝家は、お市の方を道連れにするのが忍びなかった。彼女に城を出るように再三要請したが、お市の方がそれを拒絶した。
ただし、3人の娘(父は浅井長政)の命だけは救いたかった。秀吉も、そのことを了承した。
4月24日、秀吉の総攻撃が始まった。
本丸が落ちたのは正午。その夕方、勝家は天守閣に火を放ち、お市の方と一緒に自害して果てた。
こうして、秀吉は信長の後継者の座を確実なものとした。
文=康 熙奉(カン ヒボン)