不退転の覚悟
科挙にも反対論が多かった。
その背景を見てみよう。
建国初期の高麗王朝は、官職に就くための条件として、能力ではなく家柄を重視する傾向が強かった。
すると、無能な者が出世してしまう。実際に、人材面で弊害が多かった。
そこで、光宗は科挙を導入して、家柄中心主義から人材中心主義に方向を転換した。これは効果的だった。有能でやる気のある人たちが政治の表舞台に登場し、王朝はますます活性化されるようになった。
しかし、家柄がいい人たちにとって、科挙は迷惑このうえなかった。
奴婢按検法と科挙。光宗が取り入れた2つの画期的な法と制度は、既得権層の反発を呼んだ。
それでも、光宗は強気だった。
逆らう者たちを次々に投獄して、光宗は強い決意を見せた。
「王朝にとって豪族の存在が命取りになる。なにがなんでも、豪族の力を弱めなくてはならない」
光宗は不退転の覚悟で自分の政策を推進していった。(ページ3に続く)
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