傑作時代劇で知られる超有名な「5人のヒロイン」とは?

続いてこの2人!

◆申師任堂(シン・サイムダン)
〔1504~1551年〕
朝鮮王朝時代の「良妻賢母の鑑」と言われる。幼い頃から絵画や詩歌で才能を発揮。虫を描いた紙を庭で干していたら、鳥が本物と勘違いして食べてしまったという。今では、韓国の5万ウォン紙幣の肖像画になっている。ちなみに、5千ウォン紙幣の肖像画は息子の李栗谷(イ・ユルゴク)。親子で紙幣の肖像画になっているのは世界的にも本当に珍しいことだ。




◆淑嬪・崔氏(スクピン・チェシ)
〔1670~1718年〕
19代王・粛宗(スクチョン)の側室。時代劇『トンイ』のモデルとなった。宮中の下働きをしているときに粛宗に見初められた。以後は、張禧嬪(チャン・ヒビン)のライバルとなる。1694年に王子を産んだが、それが後の21代王・英祖(ヨンジョ)である。『トンイ』では善人として描かれていたが、実際には王宮の陰で暗躍した悪女という風評もあった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

決定版!朝鮮王朝を揺るがせた「5人の悪女」

大妃(王の母)になって極悪人と化した「3人の巨悪王妃」とは誰か

国王よりも強かった「女傑の五大王妃」は誰か?

理不尽な仕打ちを受けた「悲惨な五大王妃」とは?

朝鮮王朝で業績を残せなかった「5人の国王」とは誰か

国王になれなかった「悲劇の五大世子」とは誰か

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注目記事のエッセンス1

記事「トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?」

ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

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