朝鮮王朝の光海君(クァンヘグン)の時代に暗躍した金介屎(キム・ゲシ)。彼女は「悪の女官」の代名詞である。もともと、幼い頃に王宮に入って見習いの女官になった女性であった。
常に裏で動いた
成人後の金介屎は、14代王・宣祖(ソンジョ)に直接仕えた。文書の扱いが巧みなことを評価されたのだ。それだけ頭脳が明晰だった。
当時、宣祖の後継者争いが熾烈だった。
候補者は、宣祖の側室が産んだ長男の臨海君(イメグン)と二男の光海君(クァンヘグン)、そして、宣祖の継妃となった仁穆(インモク)王后が1606年に産んだ永昌(ヨンチャン)大君だった。
宣祖が長く生きていれば、次代の王には永昌大君がなっていただろう。やはり、正室が産んだ嫡男は、側室が産んだ庶子よりも後継者争いで有利なのである。
しかし、1608年に宣祖が急死してしまった。そのとき、永昌大君はわずか2歳。この年齢で王に即位するのは無理だった。
次の王の候補は臨海君と光海君にしぼられた。このとき、光海君を支持したのが金介屎である。彼女は、光海君の即位を実現させるために裏で動いた。
臨海君は性格が粗暴で、酒びたりの生活だった。これがあだとなって、結局は二男の光海君が王位を継ぐことができた。しかし、金介屎はまだ安堵しなかった。兄の臨海君がかならず弟の光海君を策略にはめると見抜き、先に手を打って1609年に臨海君の命を奪ってしまった。
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