イ・サンが父・思悼世子(サドセジャ)の助命を嘆願したのは事実なのか?

 

時代劇『イ・サン』の始まりでは、英祖(ヨンジョ)の息子の思悼世子(サドセジャ)が米びつに閉じ込められている場面が描かれていた。思悼世子の息子のイ・サン(当時10歳で後の22代王・正祖〔チョンジョ〕)は、米びつに近づいてはならないという王命にそむき、危険をかえりみずに父に会いにきていた。




懇願するイ・サン

米びつに閉じ込められている思悼世子は息子をこう諭す。
「かならず聖君になれ。何があっても、私のことで恨みを抱いてはいけない。憎しみと怒りで身を滅ぼしてはならないのだ。わかったか、サンよ。父の教えを守れるな」
こうして父子の最後の会話は終わった。
イ・サンは父の助命を願って英祖や母のもとを訪ねる。しかし、大人たちは取り合ってくれない。必死になればなるほどイ・サンは自分の無力さを痛感せざるをえなかった。
それでも彼はあきらめない。英祖が市中の巡察に出掛けたと知ると自ら逃亡し、庶民の姿になって行幸中の英祖に直訴する。
「どうか、罪なき父を生かしてください」
英祖も、孫があまりにみすぼらしい恰好をしているのでびっくりしている。
「なぜ、そちがそんな恰好をしてここにいるのか」
「殿下にお会いするために逃げ出してきたのです。私は不忠ゆえに死んでも構いませんが、父上の忠心だけは信じてください」




ひたすら懇願するイ・サンであったが、米びつに閉じ込められた父に会いに行ったことが露見してしまう。怒った英祖はイ・サンを捕らえようとした。
そのときだった。王宮から早馬が来て、使者が思悼世子の死を伝えた。
「なんということか……」
イ・サンは号泣した。
英祖もただ立ちすくむばかりだった。息子を絶対に許さないつもりだったし、その決意を示すためにあえて市中の巡察に出たのだが、いざ息子が死んだという知らせを受けると、その衝撃ははかりしれなかった。
(ページ2に続く)

『トンイ』と『イ・サン』の歴史がわかる年表物語(前編)

『トンイ』と『イ・サン』の歴史がわかる年表物語(中編)

『トンイ』と『イ・サン』の歴史がわかる年表物語(後編)

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危篤になる前のイ・サン(正祖〔チョンジョ〕)は何を語ったか

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