中宗はなぜ文定王后の悪行を止めなかった?(歴史編)

王の裏で暴走した王妃

文定王后の悪行を、中宗はなぜ止められなかったのか。彼が国王として強い権力を発揮すれば、妻を制止することもできたはずなのに……。
1つは中宗の性格にある。
彼は、強いリーダーシップを発揮するというより、優柔不断で決断を周囲の人間にゆだねるところがあった。
さらには、自分の思うようにならない状況に陥って、政治に対する情熱を失ってしまっていた。
こうしたことが重なって、文定王后が数々の悪行を行なっても、中宗はそれを止める強い意志を持たなかった。




そういう中宗の性格や態度を見抜いて、文定王后はさらに悪行を重ねた。
仁宗を毒殺したのも間違いないと言われている。
王の裏で暴走した文定王后。彼女の存在そのものが、朝鮮王朝にとってあまりに不幸なことであった。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

燕山君(ヨンサングン)が廃位となり中宗(チュンジョン)が王になった!

燕山君(ヨンサングン)と中宗(チュンジョン)!王朝を混乱させた2人の王

中宗(チュンジョン)!優柔不断な国王

燕山君(ヨンサングン)の次に即位した中宗(チュンジョン)は王の器でなかった!

文定王后が大妃(王の母)になったことが朝鮮王朝の不運だった!

固定ページ:
1

2

注目記事のエッセンス1

記事「トンイは張禧嬪(チャン・ヒビン)より悪女なのか?」

ドラマ『トンイ』は日本でも大人気を博した。トンイを演じたハン・ヒョジュの魅力もあって、トンイがいかにも明るくて純粋な女性のように描かれていた。一方の張禧嬪は、朝鮮王朝3大悪女の1人に数えられて、悪女の代名詞になっている。しかし、本当の悪女はどちらだったのだろうか。史実を見ていくと、トンイの別の顔が見えてくる。

ページ上部へ戻る