日本と韓国の歴史を振り返る/第17回「文禄の役」

李舜臣の登場

小西行長が釜山に上陸してからほぼ20日後の5月3日、豊臣軍は朝鮮王朝の都である漢陽(ハニャン)に攻め入った。
その前に、朝鮮王朝の14代王・宣祖(ソンジョ)はすでに都から抜け出して北に逃げていた。漢陽を落とした豊臣軍は、続いて朝鮮半島の八道を分割して占領することをめざした。
緒戦の大勝に気を良くした秀吉は、自ら朝鮮半島に渡る意欲を見せたのだが、徳川家康や前田利家といった大老たちの反対によってそれをしばらく延期した。
その秀吉に代わって石田三成が朝鮮半島に渡り、朝鮮奉行として実質的に各大名に命令を出した。
各大名は、兵糧米をしっかり確保するために土地を占領して農民を支配することを狙った。加藤清正の場合は、朝鮮半島東北部の咸鏡道(ハムギョンド)の占領をもくろみ、その過程で宣祖の2人の王子を捕らえている。




それが象徴的な出来事だった。朝鮮王朝軍は敗退を続け、朝鮮半島は豊臣軍の思うがままになっていた。
しかし、その窮地から朝鮮王朝の反撃が始まった。各地で土地の有力者を中心にした義兵が組織され、局地的に豊臣軍に抵抗した。
この義兵の活動は燎原の火のごとく朝鮮半島に広がり、豊臣軍を徐々に苦しめていった。さらに、天才的な戦術家・李舜臣(イ・スンシン)が指揮する水軍が、亀甲船という画期的な戦闘船を主力にして戦い、次々に豊臣水軍を破っていった。
これは朝鮮半島に駐屯していた武将たちにとって大変な痛手であった。なぜならば、日本からの補給路を絶たれてしまったからだ。

文=康 熙奉(カン ヒボン)

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